読書案内/The Real Barenziah, v2 のバックアップ(No.1)

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本物のバレンジア 第2巻
著者不明

 バレンジアとストローは貧民街に安い部屋を借りて、リフテンで冬を越すことにした。バレンジアは盗賊ギルドに入ろうとしていた。好き勝手に盗みを働いていてはいつか面倒なことになるとわかっていたから。ある日、盗賊ギルドの名の知れたメンバーのひとりと酒場で目が合った。若さあふれるカジートで、その名をセリスといった。ギルドに紹介してくれたらあなたと寝てもいいわ、とバレンジアは声をかけた。セリスは彼女を見つめてから笑みを浮かべると、いいとも、と言った。が、まずは儀式をこなすのが先決だとも言った。

「どんな儀式なの?」

「ああ」と、セリスは言った。「前払いでたのむぜ、かわいこちゃん」
 (この一節は神殿によって検閲を受けている)
 ストローに殺される、たぶんセリスも。いったいどういう気まぐれでこんなことをしてしまったのか。バレンジアはおどおどした目つきで部屋を見渡した。だが、他のパトロンはとっくに興味を失って仕事に戻っていた。知らない顔ばかりだった。彼女とストローが泊まっている部屋ではなかった。運がよければ、しばらくはストローにばれずにすむかもしれない。あわよくば永遠に。
∗∗∗
 バレンジアはセリスほど刺激的で魅力のある男には出会ったことがなかった。盗賊ギルドのメンバーに求められるスキルについて教えてくれるばかりか、そうしたスキルの稽古もつけてくれた。あるいは、稽古をつけられる人物を紹介してくれた。
 その中に、魔術に詳しい女がいた。カチーシャは貫禄たっぷりに肥えたノルドで、鍛冶屋の妻として二人の十代の子供をもうけており、派手さはないが尊敬すべき女性だった。だたし、とにかく猫が好き(論理的に考えれば、その人間版であるカジートも)で、いくつかの魔法の才能があり、変わった友人が多いという特徴はあったが。彼女はバレンジアに透明化の呪文を教えて、隠密行動や変装の技法をいくつか仕込んだ。魔術の才能と魔術のいらない才能を好きなように組み合わせて総合力を高めるということもやってのけた。盗賊ギルドのメンバーではなかったが、セリスのことは気に入っていた。どことなく母性がくすぐられるのだろう。バレンジアは彼女のことが好きになった。女性に対してそういう気持ちになるのは初めてだった。それから数週間かけて、自分のことを洗いざらい彼女に話した。
 バレンジアはストローを連れていくこともあった。ストローはカチーシャには好感を持ったが、セリスとは馬が合わなかった。セリスはストローに興味がわいたらしく、バレンジアに「スリーサム(注釈: 三人による乱交のこと)」をしないかと持ちかけた。

「絶対にいやよ」と、バレンジアはきっぱりと言った。セリスがこっそりとその話題を切り出してくれたことに、このときばかりは感謝した。「ストローは楽しめないわ。私だってそうよ!」
 セリスはとっておきの猫笑いを三角形の顔に浮かべて、椅子の中でだらしなく手足を投げ出し、屈伸運動をして尻尾を丸めた。「きっと驚くだろうに、ふたりとも。ただの交尾ってのはどうにも退屈でね」
 バレンジアはにらみつけることで応じた。

「ひょっとすると、君のあのいなかっぺの彼氏だから楽しめないのかも。おれの友人を連れてきてもいいかい?」

「よしてよ。私に飽きたんなら、お友だちと別の女をたらしこめばいいじゃないの」バレンジアはすでに盗賊ギルドのメンバーになっていた。入会の儀式を終えていたのだ。セリスには使い道があるが、どうしても必要というわけでもない。彼女もまた、セリスにちょっと飽きているのかもしれなかった。
∗∗∗
 バレンジアは男のことで抱えている問題についてカチーシャに相談してみた。あるいは、バレンジアが問題だと感じていることについて。カチーシャはかぶりを振って、体の関係ではなく愛を求めなさい、と言った。あなたにぴったりの男は会ったときにピンとくるわ、ストローもセリスもあなたにぴったりの男じゃないのよ、と。
 バレンジアはけげんそうに小首をかしげた。「みんな言うわ。ダークエルフはいん、いん、いんばいだって」言葉の選択が合っているのかどうかはあやふやだった。

「淫乱って言いたいのね」と、カチーシャは言った。「もっとも、ダークエルフの淫売もいるでしょうけど」と、後から思いついたように続けた。「若いエルフはみんな淫乱なの。でも、大人になれば卒業することよ。ひょっとしたら、あなたも卒業しつつあるのかもね」期待を込めて言った。バレンジアには好感を持っており、どんどん好きになっていた。「けど、素敵なエルフの若者と会ってみるべきね。カジートや人間とつるんでばかりいたら、あっという間に妊娠しちゃうわよ」
 バレンジアは想像するうちにほくそ笑んでいた。「楽しいかもね、それも。でも、きっと重荷になるでしょう? 赤ちゃんは世話が焼けるもの。それに自分の家だって持ってないし」

「あなたいくつなの? 17歳? そういうことなら、妊娠するようになるまでにはあと一、二年あるわね。よっぽど運が悪いんでなければ。その後でも、エルフとエルフのあいだには子供ができにくいのよ。だから、エルフと付き合っていればその心配はないと思うわ」
 バレンジアは他のことを思い出した。「ストローが牧場を買って私と結婚したいって」

「それがあなたの望みなの?」

「ううん、今はまだ。いつかはそういう気になるのかもしれないけど。いつかはね。けど、そんなことより女王になりたいの。ただの女王じゃないわ、モーンホールドの女王に」と、バレンジアは決然と言った。意固地になっているようにすら聞こえた。あらゆる疑念を振り払おうとするかのように。
 カチーシャは最後の発言については聞き流すことにした。彼女のたくましい想像力を微笑ましく思い、健全なる精神の証だろうと受け取った。「ベリー、その『いつか』がやってくる頃には、ストローはきっとお爺ちゃんになってるわ。エルフの寿命はとっても長いから」カチーシャの顔にうらやむような、ねたむような表情がちらついた。エルフが神より授かった千年の寿命について考えるとき、人間はそういう顔をする。確かに、疫病やら暴力やらで命を落とすエルフも多いため、実際にそこまで生きられるものは少ないだろう。それでも、可能性はある。本当に千年生きたというエルフの話もちらほら耳にする。

「お爺ちゃんも好きよ」と、バレンジアは言った。

カチーシャは笑い声をあげた。

∗∗∗
 バレンジアは気ぜわしげに身をよじった。セリスが机の書類をていねいに並べていたのだ。徹底的かつ几帳面に、ひとつ残らず元あった場所に戻していった。
 二人は貴族の屋敷に押し入ったのだった。ストローには見張りとして外に残ってもらっていた。セリスが言うには、ちょろいヤマだが密やかに進めたいとのことだった。他のギルドの仲間も連れてこないようにと釘を刺していたほどだった。バレンジアとストローなら信頼できるが、他のやつはだめなんだ、と。

「探してるものを教えてよ、見つけてあげるから」バレンジアは急かすようなささやき声で言った。セリスは彼女ほど夜目がきくわけではなかった。しかも、どんなほのかな光でも魔法で灯してはいけないと、彼は前もって告げていた。
 これほど贅を散りばめた場所に足を踏み入れたのは初めてだった。彼女が少女時代を過ごしたスヴェン卿とインガ夫人のダークムーア城など比べものにならなかった。バレンジアはごてごてと飾り立てられた音の反響する階下の広間を通り抜けながら、驚きに満ちた視線をあちこちに投げかけた。が、セリスの興味は上階の本に埋もれた小さな書斎にある机だけに向けられているようだった。

セリスは怒りもあらわに指を唇にあててみせた。

「誰か来るわ!」と、バレンジアは言った。すぐさまドアが開き、黒っぽいふたつの影が部屋におどり込んできた。セリスはバレンジアを彼らのほうへ乱暴に押しやると、窓際へ跳躍した。バレンジアの筋肉はこわばっていた。動くことも叫ぶこともできなかった。なす術のないまま、小さいほうの影がセリスを追って跳ぶのをながめていた。青い光が音もなく二度ほどきらめくと、セリスはくずれて動かなくなった。
 書斎の外では、屋敷が眠りから覚めたようだった。足音があわただしく鳴り響き、張りつめた呼び声が飛び交っていた。急いで身につけたらしい鎧のきしむ音がとどろいた。
 大柄な影は見たところダークエルフの男だった。セリスを半分かかえて半分ひきずりながらドアまで運ぶと、待機していたもうひとりのエルフの腕に押しやった。大柄なエルフが頭をひょいと傾けると、青い法衣を身につけた小柄なエルフもやってきた。大柄なエルフはゆうゆうと歩きながらバレンジアのほうへ近づき、彼女の顔をながめた。バレンジアはなんとか動けるようにはなっていた。動こうとすると頭が割れるように痛んだが。

「胸をはだけてみせるんだ、バレンジア」と、エルフは言った。バレンジアは呆然としながらも、シャツをぎゅっとつかんだ。「女の子なんだろう、ベリー?」と、彼はおだやかに言った。「さっさと男の子の変装をやめなかったのは失敗だったな。かえってひと目を引いただけだった。しかも、ベリーなんて呼ばれてるんだから。お友だちのストローは昔のことをすっかり忘れてしまったのかな?」

「エルフによくある名前だわ」バレンジアはストローをかばって言った。
 男は悲しげにかぶりを振った。「ダークエルフはそんな呼び名をつけないもんさ。もっとも、ダークエルフは世俗にはうといのかな。悲しいことだが、きみが悪いわけじゃない。まあいいさ、私が救済してあげようじゃないか」

「あなた、誰なの?」と、バレンジアは問いただした。

「名声なんてこんなものか」男は肩をすくめて苦笑いを浮かべた。「シムマチャスという。バレンジア姫。畏怖すべきわが陛下、タイバー・セプティム一世の帝国軍に仕える将軍だ。あなたを追ってタムリエルを駆けずりまわされたが、まったくもって楽しかった。少なくとも、今は楽しくてしかたがない。いつかきっとモロウウィンドに向かうと思ってたが、運はあなたにあったらしい。ホワイトランでストローとおぼしき死体が見つかってから、二人組みの捜索を打ち切ってしまってね。まったく、とんだ失態だった。まさかこんなに長いあいだ連れ立っているとは考えもしなかった」

「ストローはどこなの? 無事でいるの?」バレンジアは心底うろたえていた。

「ああ、彼なら元気だよ。今のところ。もちろん勾留してるが」シムマチャスは顔をそむけた。「あなたは… 彼のことが好きなのかね?」そう言うと、いかにも興味たっぷりに彼女を見つめた。彼女にとっては、赤い眼で見つめられるのはなんだか妙な感じがした。ごくたまに鏡で自分の眼を見ることはあったが。

「ただの友達よ」と、バレンジアは言った。彼女の耳には、その言葉はけだるく、あきらめの境地にあるように響いた。まさかシムマチャスとは。帝国軍の将軍その人とは。タイバー・セプティム皇帝の友であり耳でもあると言われている男だなんて。

「ふむ、あなたには何人かの不釣合いなお友達がいるようだが。お気に障られたらお許しを、姫さま」

「その呼び方はやめて」バレンジアは将軍のそこはかとない皮肉にいらついていた。だが、彼は微笑むだけだった。
 そうして話しているうちに、屋敷の喧騒はおさまっていった。バレンシアの耳には、おそらく屋敷の住人がさほど遠くないところでささやき合っているのが聞こえたが。のっぽのエルフは机の角に腰かけていた。すっかりくつろいでいるらしく、しばらく帰りそうになかった。
 そのとき、バレンシアはピンときた。この将軍は、何人かの不釣合いな友達と言った。つまり、彼女のことなら何でも知っているのだ! いずれにしても結論はひとつだった。「み、みんなをどうするつもりなの? わ、私はどうなるの?」

「ご承知のとおり、この屋敷は管轄の帝国軍司令官の住居でね。ありていに言えば私の屋敷なんだ」バレンジアは息をのんだ。シムマチャスはすかさず顔を上げた。「おっと、知らなかったのかな? そいつはいけませんね、姫さま。いくら若くても軽率すぎる。自分のしていることをしっかり把握しておかないと。あるいは自分が関わろうとしていることを」

「で、でも、ギルドが、ど、どうしても… どうしても…」バレンジアは震えていた。盗賊ギルドは帝国軍の方針に逆らうような任務に手を染めたりはしない。タイバー・セプティムにけんかを売るような真似はしないのだ。少なくとも、彼女の知り合いはそういうことはしない。ギルドの会員がへまをやらかしてしまった。こっぴどいへまを。これから彼女はその報いを受けることになる。

「言いにくいことだが、セリスがこの件でギルドの承認をもらっているとは思えないね。実際のところ--」シムマチャスは入念に机をチェックして、抽斗を順番に引っぱり出した。ひとつを選んで机に置き、二重底のふたを取り外した。折りたたまれた羊皮紙がしまってあった。どこかの地図のようだった。バレンジアがにじり寄ると、シムマチャスは笑いながらその紙を彼女から遠ざけた。「いやはや軽率なお姫さまだ!」そう言って地図をざっとながめてから抽斗に戻した。

「状況を把握しておけと助言したのはそっちでしょう」

「そうだった、そうだった」いきなり将軍はご機嫌になったようだった。「そろそろ行かないと、姫さま」
 シムマチャスは彼女に付き従ってドアから階段へと進み、夜風の中に出た。近くにひと気はなかった。バレンジアは闇に向かって視線を走らせた。シムマチャスを撒けるだろうか、どうにかして逃げられるだろうか、と考えを巡らせた。

「逃げようなんて思ってはいないだろうね。ひとまず、あなたをどうするつもりか聞きたくないかね?」将軍の声はどことなく傷ついているように聞こえた。

「そんなふうに言われたら、聞きたくなるわ」

「友達のことから話したほうがいいかな」

「だめ」
 シムマチャスはご満悦の顔つきになった。将軍が望んでいた答えだったのだろう、とバレンジアは思った。が、それは本心でもあった。友達のこと、なかでもストローのことが気がかりだったが、それ以上に自分自身のことが気になっていた。

「あなたには正式にモーンホールドの女王になってもらう」
∗∗∗
 シムマチャスが言うには、彼もタイバー・セプティムもずっとその計画を温めてきたということだった。バレンジアが疎開させられてからの十数年間、モーンホールドは軍の統治下にあったが、ゆっくりと民政に戻りつつあった。もちろん帝国の指導のもと、帝国領モロウウィンドとしてではあったが。

「だったらどうしてダークムーアに移されたの?」バレンジアは訊いた。説明されたばかりのことがほとんど信じられなかった。

「もちろん、匿うためだ。どうして逃げたのかね?」
 バレンジアは肩をすくめた。「とどまる理由がなかったから。すべて話してくれたらよかったのに」

「そのつもりだったさ。それどころか、皇室の一員として帝都で暮らさせようと、あなたのことを呼び戻そうとさえした。が、そのときにはもう失踪なさっていたわけだ。自分の定めのことならはっきりとわかるはずだ。わかっていてしかるべきだった。それだけの価値がなければ、皇帝は生かしてはおかない。皇帝にとってのあなたの価値などひとつしかなかろう」

「皇帝のことなんて知らないもの。それを言ったらあなたのことも」

「なら覚えておくがいい。タイバー・セプティムは敵味方関係なく、功績によって評価する」
 バレンジアはひとしきりそのことについて考えをめぐらせた。「ストローは私のために尽くしてくれたわ。誰かを傷つけたこともない。盗賊ギルドのメンバーでもない。私を守るためにそばにいてくれたの。使い走りをして生活費を稼いでくれて、それから、ストローは…」
 シムマチャスはじれったそうに手を振って彼女の言葉をさえぎった。「ストローのことならすべてわかっている」と言った。「それと、セリスのことも」穴が開きそうなほど彼女を見つめた。「で、あなたはどうしたいのかな?」
 バレンジアは深呼吸をした。「ストローは小さな牧場をほしがってた。私がお金持ちになれるんなら、彼にも少しおすそ分けをしてあげたい」

「よかろう」シムマチャスは驚いた顔つきになってから、喜んでみせた。「承知した。望みをかなえよう。セリスはどうするかね?」

「私を裏切ったわ」と、バレンジアは冷淡に言った。危険なヤマだということを、彼は彼女に伝えておくべきだった。そればかりか、彼女を敵のふところに突き飛ばして逃げようとさえしたのだ。褒美を与える必要はない。つまるところ、信じるに足る男ではなかったのだ。

「そうだな。それで?」

「ええと、罰を受けさせるべきかな?」

「当然だろう。どういった罰がいいかね?」
 バレンジアは両手を拳ににぎった。みずからあのカジートをぶん殴って引っかいてやりたかった。が、こういう流れになってしまったからには、いささか女王らしさに欠ける罰のような気がした。「鞭打ちの刑かな。二十回じゃ多すぎるかしら? 一生残るような傷は負わせたくないの、わかるでしょ。ちょっとお灸をすえるだけでいいの」

「うむ、もっともだ」シムマチャスはにっこりと笑った。と、いきなり顔つきが引き締まり、真剣になった。「仰せのとおりに、モーンホールドのバレンジア女王様」と言い、お辞儀をした。わざとらしいほど深くて礼儀正しい小粋なお辞儀だった。
 バレンジアは心が躍った。
∗∗∗
 バレンジアは二日間ほどシムマチャスの部屋で過ごした。すべきことが山ほどあった。欲しいものがあれば、ドレリアンという名のダークエルフの女がなんでも手配してくれた。彼女も食卓を共にすることから、召使いというわけではなさそうだった。かといってシムマチャスの妻にも、愛人にも見えなかった。バレンジアにそのことを訊かれると、ドレリアンは意外そうな顔をして、わたしは将軍に雇われてあなたの世話をしているだけよ、とさらりと答えた。
 ドレリアンの取り計らいで、いくつかの上物のガウンと靴がバレンジアのもとへ届けられた。それから乗馬用の服とブーツと細々とした日用品も。自分の部屋もあてがわれた。
 シムマチャスは外に出ずっぱりだった。たいていの食事には顔を出したが、自身のプライベートや任務の内容について口を開くことはほとんどなかった。気さくでうやうやしく、たいていの話題なら喜んで歓談に加わり、バレンジアの口にする一語一句に興味があるようだった。ドレリアンもまたそうだった。バレンシアは彼らのことを好意的に受け止めてはいたものの、いかにもカチーシャが言いそうなことだが、どこかつかみどころがないようにも感じていた。バレンジアは言いようのない失望感に襲われていた。ダークエルフとこれほど親しくするのは初めての経験だったため、安心感のようなものが得られると期待していたのだ。ようやく自分の居場所が見つかったような、誰かとつながっているような、何かの一部になれたような、そんな絆を感じられると思っていた。ところが実際は、カチーシャやストローといったノルドの友人たちへの恋しさがつのっていた。
 明日になったら帝都へ出発するとシムマチャスに言われたとき、バレンジアは彼らにお別れの挨拶をさせてほしいとねだった。

「カチーシャですか?」と、シムマチャスは訊いた。「そうですね… 彼女には借りもあることですし。ベリーというひとりぼっちのダークエルフが同族の友達を欲しがってるとカチーシャが耳打ちしてくれたおかげで、あなたを見つけることができた。あなたがたまに少年の変装をしてることも教えてくれた。彼女は盗賊ギルドとは何のつながりもありません。それにあなたの素性に気づいている盗賊ギルドのメンバーも、セリスをのぞけばいないようですね。おおいに結構。あなたが元盗賊ギルドのメンバーだったということは公にはしたくない。どうか口外なさらぬようお願いしますよ、女王様。そうした過去は帝都の女王にはふさわしくない」

「知ってるのはストローとセリスだけよ。彼らは誰にも言わないわ」

「ええ」シムマチャスは妙な微笑みを浮かべた。「もちろんでしょう」
 カチーシャも知っていることにシムマチャスは気づいていなかった。が、それでもやはり、どことなく含みのある言い方だった。
∗∗∗
 出発の朝、ストローが彼らの部屋にやってきた。ふたりは客間に取り残されたが、他のエルフが耳をそばだてていることにバレンジアは気づいていた。ストローの顔はやつれていて青白かった。しばらく静かなる抱擁を交わした。彼は肩を震わせ、頬に涙を伝わせていたが、無言のままだった。
 バレンジアは笑顔をこしらえようとした。「これで、ふたりとも欲しいものが手に入るわね。私はモーンホールドの女王様に、あなたは牧場の主になるの」彼の手をとり、おだやかなありのままの笑顔を向けた。「手紙を書くわ、ストロー。約束する。あなたも代書人を見つけて手紙を書いてもらえばいいわ」

ストローは悲しげに首を振った。バレンジアがなんとか話を続けようとすると、彼は口を開けてそこを指差し、声にならない音をもらした。ようやく、彼女にもすべてがわかった。舌がなかった。切り落とされていた。

 バレンジアは椅子にくずれ落ち、わんわんと泣いた。
∗∗∗
 「だけど、なぜ?」ストローが退室させられると、バレンジアはシムマチャスを問い詰めた。「なぜなの?」
 シムマチャスは肩をすくめた。「彼は知りすぎてしまった。放ってはおけません。死んではいませんし、豚だかなんだかを育てるのに舌はいらないでしょう」

「人でなし!」と、バレンジアは怒鳴りつけ、いきなりかがみ込んで床に吐きもどした。波のように満ちては引く嘔吐感をこらえながら罵倒しつづけた。シムマチャスは無表情のままそれを聞いていた。ドレリアンが床を拭っていた。ようやく彼は口を開き、静かにしないと猿ぐつわをされたまま帝都に向かうことになりますよと言った。
 一行は街の出しなにカチーシャの家に立ち寄った。シムマチャスとドレリアンは馬に乗ったままだった。家の様子は普段のままだったが、バレンジアはおびえるようにドアをノックした。カチーシャの声がした。彼女が無事であってくれたことにバレンジアは感謝した。が、カチーシャはまぶたを泣き腫らしていた。それでもバレンジアを温かく抱きしめた。

「どうして泣いてるの?」と、バレンジアは尋ねた。

「だって、セリスのことがあったから。あなた、聞いてないのね? ああ、かわいそうなセリス。彼は死んだわ」バレンジアは氷の指で心臓を撫でまわされるような感覚に襲われた。「司令官の家に盗みに入って逮捕されたの。かわいそうだけど、馬鹿なことをしたもんだわ。ああ、ベリー、あの子は今朝、司令官の命令で四つ裂きの刑に処されたの!」彼女はすすり泣きだした。「立ち会ったのよ、あの子が望んだから。むごかったわ。死ぬまでにかなり苦しんだでしょうね。一生忘れられない。あなたとストローのことを探したんだけど、誰に聞いてもどこにいるかわからないって」バレンジアの肩越しに見やった。「あれは司令官じゃないの。シムマチャスだわ」すると、カチーシャは奇妙な行動をとった。泣きやんで笑ったのだ。「あたしったら、あの人を見たときに思ったのよ。バレンジアの運命の人だって!」エプロンをつかんで涙を拭った。「あなたのことを話したの。わかるでしょう」

「うん」と、バレンジアは言った。「わかるわ」カチーシャの手をひとつずつとると、ひたむきな瞳で見つめた。「カチーシャ、愛してるわ。会えなくなるのはとってもつらい。けどね、私のことは誰にも話さないでほしいの。絶対に。お願いよ。とくにシムマチャスには絶対にだめ。それからストローの面倒をみてあげて。約束してほしいの」
 カチーシャは約束した。戸惑いながらもこころよく。「ベリー、セリスが捕まったのはあたしのせいじゃないわよね? セリスのことは、あ、あ… あの人に話したことはないもの」そう言って、将軍のほうに眼を向けた。
 バレンジアは彼女のせいではないと言ってなだめた。内通者が帝国兵にセリスのたくらみを伝えたのだと。ひょっとしたら嘘かもしれない。が、カチーシャはそういう類の安らぎを求めていたのだ。

「それを聞いてほっとしたわ、こんなひどい状況でもね。考えたってしかたがないけど、だったらどうすればよかったのかしらって思うわ」カチーシャは身をかがめてバレンジアの耳にささやいた。「シムマチャスはすごいハンサムね。それに、とっても魅力的だわ」

「そうは思えないけど」と、バレンジアはそっけなく言った。「そんなこと考えもしなかったわ。他に考えることがあったから」モーンホールドの女王となってしばらく帝都で暮らすことをかいつまんで説明した。「将軍は私を探してただけ。皇帝の勅命でね。私が旅の目的だったのよ。も、も、目標でしかなかったのよ。女として見られてるかどうかも怪しいわ。少年には見えないって言われたけどね」そう言うバレンジアを尻目に、カチーシャは懐疑的なまなざしを向けていた。男性に会うたびに性的魅力および性的有用性という観点で品定めをするのがバレンジアだったからだ。「私が本物の女王様だと知って驚いたでしょうね」とバレンジアが言うと、カチーシャはうなずいて同意した。そうね、ちょっとした驚きだわ。あなたはとても貴重な体験をしてるとは思うけど、と付け加えて、カチーシャは微笑んだ。バレンジアもいっしょに微笑んだ。それからまた抱き合った。ふたりとも泣きじゃくりながら最後の別れを交わした。その後、バレンジアがカチーシャやストローと再会することはなかった。
 バレンジアの一行は立派な南門からリフテンを出た。一度だけ、シムマチャスは彼女の肩に手をやってから、門のほうを指差した。「セリスにお別れを言わなくてよろしいのですか、女王様」
 バレンジアは一瞬だけ、門の上で串刺しになっている生首をしかと見やった。鳥にあちこち突かれていたが、面影はなんとかとどめていた。「セリスには聞こえないもの。私が無事だと知ったら喜んでくれるでしょうけどね」と、つとめて晴れやかに言った。「先を急ぎましょうか、将軍?」
 シムマチャスは彼女の反応の薄さにがっかりしていた。「そうか、ご友人のカチーシャからお聞きになられたんですな。そうでしょう?」

「そのとおりよ。彼女は処刑の場に居合わせたの」バレンジアはさりげなく言った。シムマチャスが気づいていないとしても、きっとすぐに気づくだろう。彼女はそう確信していた。

「彼女はセリスがギルドの一員だと知っていたのですか?」
 バレンジアは肩をすくめた。「みんな知ってるわ。会員であることを隠しておかないといけないのは、私みたいな下っ端のメンバーだけだから」いたずらっぽく将軍に笑いかけた。
 将軍の心が動かされた気配はなかった。「ということは、彼女にはあなたが誰でどこから来たのか話しただけで、ギルドのことは教えてないと」

「ギルドの一会員だなんて大っぴらにはできないわ。他の秘密とはわけが違うもの。だいいち、カチーシャは生真面目な人だから。彼女にばらしたら、きっと冷たい眼を向けられるようになる。もっとまともな職につきなさいってセリスに口やかましく言ってたから。もっともな意見だと思うわ」シムマチャスに冷たい視線を向けられるにまかせた。「あなたには興味のないことだろうけど、彼女が他にどんなことを考えてたかわかる? 運命の男と添い遂げたら私がもっと幸せになれると思ってたのよ。ダークエルフの男とね。しかも、中身のともなっている、ね。中身がともなっていて、道理にかなった意見というものを心得ているダークエルフの男。つまり、あなたみたいな」バレンジアは手綱をしぼって馬を駆ろうとした。が、最後に強烈な皮肉をお見舞いするのを忘れなかった。「願いって、思ってもみなかったふうにかなうのね。けれど、自分が望むようにはいかないの。自分がずっと望んでたようにはいかないと言ったほうがぴったりかしら」
 あまりにも意外な答えが返ってきたのでバレンジアは虚を突かれて、キャンターで駆け出したことなど忘れてしまった。「ええ、そうですね」と、シムマチャスは応じたのだ。しかも、声音とのずれがみじんも感じられなかった。それから、ちょっとすみませんと言って後ろに下がった。
 バレンジアは頭を高く突き出してぐんぐん加速していた。つとめて無関心を装いながら。それにしても、将軍の返事のどういうところに引っかかるのだろう? 言葉そのものではないことは確かだった。むしろ、その言いように引っかかった。どことなく、バレンジアそのものが、将軍のかなえられた願いのひとつであるように感じられた。ありえそうもないことだったが、彼女はそのことをじっくりと考えてみた。将軍はようやく彼女を見つけた。何ヶ月もかけて、おそらく皇帝の圧力にも耐えながら。それは疑いようがない。まさしく、将軍の願いはかなえられたのだ。そういうことに違いなかった。
 だが、ある意味、すべてが望んだようにはいかなかったということだろう。


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