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ページ名 読書案内/The Real Barenziah, v5 (閲覧)
投稿者ID DnGtaD8Z
投稿日 2012-01-04 (Wed) 00:43:30
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CENTER:本物のバレンジア 第5巻
CENTER:著者不明

img src=''img://Textures/Interface/Books/Illuminated_Letters/A_letter.png'' シムマチャスの予言どおり、混沌の杖を盗まれたことによる後遺症は思いのほかあとを引いた。皇帝ユリエル・セプティムはいっそう改まった手紙を書いてよこし、杖の紛失にはがっかりさせられ不満を感じているとの意を表した。シムマチャスは全身全霊をささげて杖のありかを突き止めるよう促された。新たに着任した帝国の魔闘士、ジャガル・サルンの指揮のもと、進捗状況について密に連絡を取り合いながら捜索を進めるようにとのことだった。

「サルンめ!」シムマチャスはうんざりしたように怒鳴った。いらいらしながら小部屋をうろついていた。妊娠数ヶ月のバレンジアはおだやかな面持ちで赤ん坊のための毛布に縫い取りをしていた。

「あの人のどこが気に入らないの?」

「あんな卑劣なエルフは信用できん。ダークエルフとハイエルフの他にどんな血が混じっているのかわかったもんじゃない。あちこちの種族から最低品質の血だけを受け継いだにちがいない」シムマチャスは鼻を鳴らした。「誰もあいつのことをほとんど知らない。ヴァレンウッド南部の生まれで母親はウッドエルフだということ以外はな。しかもあの神出鬼没ぶりときたら…」

 バレンジアは妊娠からくる幸福と倦怠感を感じながら、ひとまずはシムマチャスに調子を合わせていただけだった。が、ふと、針仕事をしている手を止めて、彼のほうを見た。やけに気になることがあった。「シムマチャス。ジャガル・サルンはナイチンゲールだったということは考えられないかしら。あのときは変装をしていたんじゃない?」

 シムマチャスはしばらく考えをめぐらせてから答えた。「それはない。人間の血がサルンの家系に混じっているようには思えないからな」それが夫の欠点なのだと、バレンジアにはわかっていた。シムマチャスは、怠け者だからとウッドエルフを嫌い、ひ弱なインテリだからとハイエルフを嫌った。が、人間のことは、とりわけブレトンのことは、実利主義と知性と体力を兼ね備えた民族であるとして絶賛していた。「ナイチンゲールはエボンハートとつながっている。ラーシム一族、なかでもフラール家とモラ家の類縁だろう。きっとそうだ。あの一家にはずっと人間の血が流れている。エボンハートにしたって、タイバー・セプティムが召喚の角笛を取り上げたとき、混沌の杖をこの地に封じたことをうらめしく思っていたのだから」

 バレンジアは小さなため息をついた。エボンハートとモーンホールドの敵対関係は、ほぼモロウウィンドの歴史の幕開けとともに始まっている。これらふたつの国はかつてはひとつだった。実入りのいい鉱山はすべてラーシムが領地として保有していた。ラーシムはその家柄のおかげでモロウウィンドの高王と称されていた。リアン女王の双子の息子--伝説の王、モラエリンの孫にあたる--が共同後継者として世に残されたとき、エボンハートはエボンハートとモーンホールドのふたつの国に分裂した。それと歩調を合わせるようにして、帝国領の緊急時に評議会が指名する暫定戦士長の意向により、高王は空位となった。

 それでもエボンハートは、モロウウィンド最古の都市国家(歴代の支配者たちはこの国家を「同等中の一番」と表現した)としての特権を失うまいと戦々恐々としており、自国の第一氏族が混沌の杖の法的後見人に選定されるべきだったと訴えた。モーンホールドはモラエリン王その人が混沌の杖をエフェン神の手にゆだねたのであり、モーンホールドの地がエフェン神の生誕地であることは疑いようがないとやり返した。

「あなたの疑念をジャガル・サルンにぶつけてみたらどう? 混沌の杖はサルンに取り返させたらいいわ。大切なのは杖が無事であることでしょう? 誰が奪い返そうが、それをどこに保管しようがどうでもいいんじゃないの?」

 シムマチャスは訳がわからないという顔つきで彼女を見つめた。「どうでもよくはない」と、しばらくたってから静かに言った。「だが、そこまでこだわることでもない」と付け加えた。「少なくとも、おまえがそれ以上気にかけるほど重要なことではない。おまえはただそこに座って--」いたずらっぽく微笑んだ。「刺しゅうをしてればいい」

 バレンジアは基礎縫いをシムマチャスに投げつけた。彼は顔に針やら、指ぬきやらなんやらを食らった。
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 数ヵ月後、バレンジアは健康な男の子を出産した。ふたりは赤ん坊をヘルセスと名づけた。混沌の杖やナイチンゲールの話題を耳にすることもなくなっていた。もし今混沌の杖がエボンハートの手に渡っているのなら、彼らはそれを誇示するような真似はしていないということだ。

 幸せな数年が駆け足で過ぎていった。ヘルセスはぐんぐん背が伸び、強い体に育っていた。彼の尊敬する父親そっくりだった。ヘルセスが8歳のとき、バレンジアは第二子、女の子をもうけた。シムマチャスは大喜びだった。ヘルセスは父の誇りだったが、愛らしいモルジア--シムマチャスの母にちなんで名づけられた--は父の心を鷲づかみにした。

 悲しいことに、モルジアの誕生は明るい時代の先触れとはならなかった。明白な理由もないまま、帝国との関係はゆっくりと悪化していった。毎年のように増税がなされ、きびしいノルマが課せられた。シムマチャスは察していた。皇帝は自分が杖の紛失に一枚かんでいると疑っているのだ。そのため、過激になっていく要求にいかに応じるのかを目にすることで、忠誠心を試そうとしているのだ、と。シムマチャスは労働時間を延長し、関税を引き上げ、それでも足りなければ公庫や個人資産に手をつけてまで補った。だが、徴税額を倍にされた市民や貴族は不満をもらしはじめていた。暗雲が垂れ込めていた。

「子供たちを連れて帝都へ出発してくれ」ある晩の夕食どき、シムマチャスはわらにもすがる思いでそう言った。「皇帝の耳をこちらへ向けさせてくれ。でないと、春になったらモーンホールドのあちこちで暴動が起きてしまう」そう言って、ぎこちない笑みを浮かべた。「おまえは男のつぼを、愛のつぼを心得てる。いつもそうだったじゃないか」

 バレンジアもぎこちなく微笑んだ。「あなたのつぼもね。心を奪ったわ」

「ああ。こっぴどく奪われた」どことなく嬉しそうだった。

「ふたりとも連れていくの?」バレンジアは部屋の隅の窓のほうを見やった。ヘルセスがリュートをかき鳴らし、おだやかな声で妹と歌っていた。ヘルセスは15歳、モルジアは8歳になっていた。

「子供たちがいれば皇帝の心もやわらぐ。それに、ヘルセスを皇室にお披露目してもいいころだろう」

「そうね。けど、そんなのは後づけの理由だわ」バレンジアは深呼吸してから意を決して言った。「ここにいたら子供たちが危険にさらされるからでしょう。そういうことなら、あなただって危険にさらされる。一緒に行きましょう」そう訴えた。

 シムマチャスは彼女の手をにぎった。「バレンジア、愛しい妻よ。心から愛してる。私までついていったら、われらの帰るべき土地がなくなってしまうだろう。私なら大丈夫。心配はいらないよ。そうとも、自分のことなら自分でなんとかするさ。しかも、おまえや子供たちに気をつかわなくてすむのなら、もっとうまくやりこなせる」

 バレンジアは彼の胸に顔をうずめた。「家族にはあなたが必要なの。私にも。ふたりが一緒でさえあれば、他にどんなものがなくてもやっていけるわ。おさいふが空っぽでもお腹が空っぽでも、心が空っぽなことほど耐えがたいものはないもの」バレンジアは泣き出した。ナイチンゲールや混沌の杖のために犯した背徳のことを考えた。「私が馬鹿なことをしたからこんなことになったのね」

 シムマチャスはいたわるように笑いかけた。「それでも、悪いことばかりではないさ」優しい眼差しを子供たちのほうへ向けた。「誰ひとりとして路頭に迷わせるつもりはない。飢えさせるようなことも。絶対に、絶対にだ。約束しよう、愛しのバレンジア。あのとき、私はおまえにすべてをかけた。私とタイバー・セプティムとで。私がいなかったら、帝国は始まってもいなかっただろう。私が帝国の勃興を支えたのだ」決意がみなぎっている声だった。「私がこの手で帝国の幕をおろすこともできる。ユリエル・セプティムにそう告げるといい。それから、私の我慢にも限度があるとな」

 バレンジアは息をのんだ。夫はこけおどしを言うような男ではない。夫が帝国に歯向かおうなど考えてもみなかった。暖炉のそばで寝そべる年老いたペットの狼に手をかまれようなど夢にも思わないように。「どうやって?」はらはらしながら訊いた。が、彼はかぶりを振った。

「知らないほうがいい」と、シムマチャスは答えた。「皇帝が一歩も引かないようであれば、私が言ったことを告げてやるんだ。恐れることはない。いやしくもセプティムの末裔なら、使者を刃にかけるような邪道はしない」ゆがんだ笑みを浮かべた。「もしそんなことになったら、愛しいわが妻や、わが子たちの髪の毛一本にでも触れるようなことがあったら、タムリエルのすべての神に誓って、この世に生を受けたことを皇帝に後悔させてやろう。そうとも、皇帝を追いつめてやる。家族もひとり残らず。セプティムの最後のひとりが倒れるまで剣を振るい続けよう」シムマチャスのダークエルフの赤い瞳が、薄明かりのなかでらんらんと輝いていた。「とこしえに誓おう、わが妻、わが女王、バレンジアよ」

 バレンジアは彼を抱擁した。強く抱きしめた。が、シムマチャスの体の温もりを感じていながら、震えが止まらなかった。
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 バレンジアは玉座に腰をおろした皇帝に向かって、モーンホールドの苦境について語ろうとした。ユリエル・セプティムとの謁見を果たすまでに数週間も待っていた。何やかんやと理由をつけられてはぐらかされていた。「皇帝陛下は気分がすぐれない」だの、「陛下は急務に当たられている」だの、「申し訳ございません、女王様。きっと何かの手違いでしょう。貴殿の陛下との謁見は来週となっておりまして、あれ、ちがったかな…」だの。そうしてようやくここまできたのに、光がまるで見えなかった。皇帝は彼女の話に耳を貸すそぶりさえ見せようとしなかった。着席するように勧めることもなく、子供たちを退室させようともしなかった。ヘルセスは彫像のように立ちすくんでいたが、幼いモルジアはむずかりだした。

 バレンジア自身の精神状態は救われないほど参っていた。帝都の滞在先に到着してから間もなく、帝都駐在のモーンホールドの大使が、シムマチャスからの公文書の束を携え入室許可を求めてきた。悪いしらせだった。それも山ほどの。とうとう暴動が起きたのだった。農民と、現状に不満を持つ数人のモーンホールドの二流貴族が結託して、シムマチャスに対し、退陣して統治権を引き渡せとの要求を突きつけてきていた。帝国の衛兵とひとにぎりほどの軍隊--彼らの家族は数世代にわたってバレンジア家に仕えてきた家臣だった--だけが、シムマチャスと暴徒のあいだに立ちはだかった。すでに交戦状態にはあったが、シムマチャスが安全なところから指揮をとっているのは明らかだった。長くはもたないだろうが、と彼は書きつづっていた。バレンジアには全力をもって皇帝との交渉にあたってほしいとも。が、いずれにせよ、安全になったから子供たちを連れて戻ってくるようにと彼が連絡をよこしてくるまでは、彼女は帝都にとどまる約束だった。

 バレンジアは帝都の官僚組織をかき分けて進んでみようかとも思った。ほとんど報われなかった。不安だけがつのっていき、追い撃ちをかけるようにしてモーンホールドからの連絡がぴたりとやんだ。ごまんといる皇帝の執事への怒りと、家族を待ちうける運命への恐れとのあいだで気をもみながら、不安と苦痛と後悔に満ちた数週間が過ぎていった。そんなある日、モーンホールド大使がやってきて、遅くとも明晩までにはシムマチャスから伝言が届くはずだと告げた。いつもの連絡経路ではなく夜鷹を使うとのことだった。幸運がまだ続いているかのように、その日、宮廷の書記官からユリエル・セプティムがようやく謁見に同意されたと告げられた。こうして、バレンジアは翌日の早い時間に皇帝と謁見することになった。

 皇帝は謁見の間で三人を出迎えた。朗らかすぎるほどの歓迎の笑みをこぼしていたが、その眼はまったく笑っていなかった。バレンジアが子供たちを紹介すると、皇帝は、本物らしいがどこかこの場にはそぐわない熱心さでもって彼らを見つめた。バレンジアはかれこれ500年ものあいだ人間と付き合ってきており、彼らの表情や仕草から真意を読み取るすべを心得ていた。皇帝がいくら隠そうとしても、その眼が雄弁に語っていた。他の感情にも気づいた。後悔だろうか。そうだわ、後悔だわ。でもどうして? 皇帝にも素敵な子供たちがいた。だったらどうして私の子供たちを物欲しげな眼で見るのだろう? それにどうして、一瞬ではあるが、不埒な渇望の眼差しを向けるのだろう? おそらく女帝に飽きてしまったのだ。人間というのは悪名が知りわたるほど、まあ、意外でもなんでもないのだが、無節操だ。こうして一度だけ燃えるような瞳で長いこと見つめてから、皇帝は視線をそらした。バレンジアが自分の使命とモーンホールドで噴火した暴力のことについてしゃべろうとしたときだった。その話が終わるまで皇帝は石像のようにじっと座っていた。

 皇帝の無気力ぶりにとまどい、憤りを感じながらも、バレンジアはその青白い、こわばった顔をながめて過去のセプティムたちの面影を見つけようとした。ユリエル・セプティムのことはよく知らなかった。彼がまだ小さかった頃に一度と、その二十年後の戴冠式でもう一度会っただけだった。二度だけだった。戴冠式での彼は、大人と呼ぶにはまだ青さの残る年齢だったのに、人を寄せつけないような威厳があった。目の前のこの成熟しきった男ほど心が醒めきってはいなかったのだが実際のところ、あのときの若者と同じ男とは思えなかった。同じではないが、それでもどこか親しみを感じるところがあった。必要以上の親しみやすさが。仕草や姿勢にごまかされているのだろうか…

 ふと、バレンジアの体がかっと熱くなった。溶岩が降りそそいだかのようだった。幻覚だわ! ナイチンゲールに手ひどくだまされてから、彼女は幻覚の術のことを真剣に学んでいた。幻覚を見破るすべも。今感じているのがまさにそれだった。盲目の男が太陽を肌で感じるようなしっかりとした感覚があった。幻覚なのね! でもどうして? バレンジアはとてつもない勢いで思考をめぐらせるいっぽう、モーンホールドを襲った困難についてとつとつと語りつづけていた。虚栄心? エルフは老いの兆候を見せることを誇示するのだが 人間はそれを見せることを恥じることがある。が、ユリエル・セプティムの顔は年齢にふさわしく見えた。

 魔法を使うのは無謀だわ、とバレンジアは思った。取るに足らない貴族でさえもこの広間の中でなら、魔法の威力を食い止めるまではいかないまでも、マジカを感じ取る手だてがある。魔術に訴えれば皇帝の怒りがもたらされるだろう。ダガーがすらりと抜かれるだろう。

 魔法。

 幻覚。

 突然、バレンジアはナイチンゲールのことを思いだした。次の瞬間、彼が目の前に座っていた。たちまち幻影が変化し、ユリエル・セプティムになった。囚われているかのような、悲しげな顔に見えた。それからまた幻影が薄らいでいき、別の男がそこに出現した。ナイチンゲールのようで、そうでない。青白い肌、充血した目、エルフの耳。凝縮された邪念をとめどなく放っていた。悪しきエネルギーの波動を感じた。ひどく破壊的な霧が舞っていた。この男ならなんでもできてしまえそうだった。
 それからまた、彼女はユリエル・セプティムの顔をながめていた。
 
 幻想をふくらませているのは自分なのではないのだろうか? 彼女の精神がちょっと悪ふざけをしているのだろう。突然、バレンジアの心に不安感がずっしりとのしかかってきた。何日もかけてはるか遠くまで重い荷物を運んできたかのようだった。そこで、モーンホールドの不幸について熱っぽく物語るのはやめにした。そんなことをしてもなんの解決にもならないとわかったからだ。軽い社交辞令に立ち戻った。

「覚えていらっしゃいますか、陛下。陛下のお父上の戴冠式のあと、シムマチャスと私と陛下のご家族とで夕食を囲みましたのよ。陛下はまだモルジアよりも幼かったわ。あの晩の招待客が私たちだけでしたから、とても光栄に思いましたわ。もちろん、陛下の親友のジャスティンを除けばですけど」

「覚えているとも」と、皇帝は言った。用心深く笑みを浮かべながら。「はっきり覚えている」

「陛下とジャスティンはとても仲がよろしかったわ。しばらくしてから彼が死んだと聞かされて、ひどく悲しんだものです」

「そうだな。いまだに、ジャスティンのことはしゃべる気がしない」皇帝の瞳がうつろになった。空虚さにも幅があるのかどうかわからなかったが、うつろすぎるほどだった。「仰せのままに、バレンジア女王。熟慮のうえ、結論は追って知らせよう」

 バレンジアは一礼した。子供たちもそうした。皇帝がうなずき、下がってよいと告げた。彼らは皇帝の御前から遠ざかっていった。

 バレンジアは謁見の間から出ると、ひとつ深呼吸をした。「ジャスティン」は空想上の遊び相手だったが、幼いころのウリエルは、夕食のたびにジャスティンの席を準備するようにと言い張った。それだけではない。いかにも男の子らしい名前に反して、ジャスティンは女の子だったのだ。空想上の幼なじみが辿るべき運命をジャスティンが辿ったあとでも、シムマチャスは冗談を言い続けたものだった。ユリエル・セプティムに会うたびに、ジャスティンはご機嫌うるわしゅうございますかとからかった。すると、セプティムはわざとらしく深刻そうな顔をしてみせた。バレンジアが最後にジャスティンのことを聞いたのは数年前のことだった。皇帝はいかにももっともらしくシムマチャスに冗談を飛ばしていた。ジャスティンは勇ましいが手に負えないカジートの若者と出会い、結婚して、リランドリルに落ち着いて、シダやヨモギを育てていると。

 皇帝の謁見室に座っていた男はユリエル・セプティムじゃないわ! なら、ナイチンゲール? そんなことが… あるわ。それしかないもの! 推論の正しさを知らせる音が、頭の中で華々しく鳴り響いた。バレンジアは確信していた。皇帝の仮面をかぶってはいるが、あの男はナイチンゲールなのだ。シムマチャスの見立ては誤りだった。致命的なほど…

 どうしたらいいの? バレンジアは一心不乱に考えた。ユリエル・セプティムの身に何が起きたのだろう。もっと肝心なのは、このことが彼女やシムマチャスやモーンホールド全体にとって、どういう意味があるのかということだ。思い返してみると、一連の問題はこのいんちき皇帝の、ナイチンゲールのせいだったのではなかろうか。本来の姿がどういうものであれ、あのときは秋波で攻めてきたのだろう。そして今度はユリエル・セプティムに成りすますと、モーンホールドに理不尽な要求を突きつけはじめたのだ。だからこそ、帝国との関係は、タイバー・セプティムとの禁断の密通が終わってから、長い時間をかけて(人間の時間の概念ではだが)悪化していったわけだ。ナイチンゲールは、シムマチャスのセプティム家に対する殊勝な忠誠心に気づいていた。彼がセプティム家の内情に詳しいことも。それで、先手を打ってきたのだ。それが事実なら、家族全員が瀬戸際に立たされている。帝都にいるバレンジアと子供たちは袋のねずみも同然で、シムマチャスはモーンホールドに残って、ナイチンゲールのばら撒いた災難を独りで取りさばこうとしている。

 いったいどうしたらいいの? バレンジアは子供たちの肩に手をあててぐいぐいと押しやった。つとめて冷静かつ平然と。付き添いの侍女や近衛騎兵があとを追うように続いた。ようやく、待たせてあった馬車までたどりついた。滞在先のスイートルームは王宮のすぐ近くにあったが、どんなに短い距離であっても、威厳を問われる王族が徒歩で移動することは許されなかった。このときばかりは、バレンジアはそのプライドに感謝した。馬車がまるで避難所のように見えた。ただの錯覚にすぎないとわかってはいながら。

 ひとりの少年が衛兵のもとへ駆けてきて巻物を手渡し、馬車を指差した。衛兵は巻物をバレンジアに渡した。少年は見開いた瞳を輝かせながら、待っていた。書簡は簡単な挨拶程度のもので、ハイ・ロック地方はウェイレストのイードワイヤー王が、モーンホールドの高名なるバレンジア女王とぜひともお会いしたいとの旨がしたためられていた。かねがね噂は耳にしており、ぜひともお近づきになりたいと。

 バレンジアの直感が断るべきだと言った。彼女はさっさと帝都を出てしまいたかった。金満家の人間とのんびり語らっている場合ではなかった。バレンジアが顔を上げて眉をひそめると、衛兵のひとりが言った。「女王様、この少年が言うには、彼の主人が向こうであなたの返事を待っているらしい」彼女は指で示された方向を見やった。馬にまたがっている初老の色男が見えた。数人の廷臣や騎士がまわりを取り巻いていた。男は見られていることに気づくと、羽飾りのついた帽子を取って、うやうやしく一礼した。

「いいでしょう」と、バレンジアは衝動的にそう言った。「おまえの主人に伝えなさい。今夜、夕食のあとで訪ねてくるようにと」イードワイヤー王は丁寧で、まじめそうだった。不安がっているふうでもあったが、恋わずらいをしているという印象はまったく受けなかった。それはそれでたいしたものだけど、と彼女はぼんやりと思った。

 バレンジアは塔の窓辺に立ち待っていた。使い魔の気配を感じたが、夜空は真昼のように晴れ渡っているというのにその姿をとらえられなかった。するとそれはひょっこり現れた。霞みがかった夜の雲の下、流れるように飛んでいた。数分後、立派な夜鷹が降り立った。翼を折りたたみ、鉤爪を伸ばして彼女の厚手の革の腕章をつかんだ。

 バレンジアは夜鷹を止まり木まで運んでやった。夜鷹はそこで息を切らせて待っていた。彼女はじれったそうに指を伸ばし、夜鷹の足首にくくりつけられている、カプセルに封じられた伝言に触れようとした。その間、夜鷹はえらい勢いで水を飲んでいたが、やがて羽毛をはためかせると、ようやく人心地がついたかのように毛づくろいをはじめた。ひと仕事終えたという充実感にひたっているのだろう。任務を達成し、ようやくひと息つけると。バレンジアはそうした夜鷹の喜びを心の片隅で分かち合ってい

たが、その陰では不安だけが渦巻いていた。嫌な予感がした。夜鷹でさえそう感じているようだった。

 バレンジアは震える手で、折りたたまれた薄手の羊皮紙を開いていき、そこに書きなぐられた文面を食い入るように見つめた。シムマチャスの自筆ではなかった

。バレンジアはのろのろと椅子に腰をおろし、手紙のしわを指で伸ばしながら、悲劇を冷静に受け止めようとして、心でも体でも覚悟を決めた。仮に、それが悲劇の報せであるのなら。

 悲劇はやってきた。

 帝国の衛兵がシムマチャスを見捨てて暴徒側に寝返ったのだ。シムマチャスは死んだ。生き残った忠実な兵士たちは決定的な敗北を喫した。シムマチャスは逝った。帝国の公使が暴動の首謀者はモーンホールドの王であると断じた。シムマチャスは死んでしまった。バレンジアと子供たちは帝国への反逆者であると宣告され、その首に賞金がかけられた。

 シムマチャスが死んだ。

 今朝の皇帝との謁見は見せかけでしかなかったのだ。策略でしか、猿芝居でしか。皇帝はとっくに知っていたのだろう。彼女はただ引きとどめられていたにすぎない。しばらくはごゆっくりと帝都を満喫されたらいかがですか、バレンジア女王。帝都の暮らしを味わいながら、好きなだけご滞在されるとよろしい。滞在? いや、拘留だった。監禁だった。それからおそらく捕縛されるのだろう。幻想ではなく、それが現状なのだ。皇帝とその寵臣は一家全員を帝都に閉じ込めておくつもりなのだろう。逃がすつもりなどない。少なくとも、生かしておくつもりなどない。

 シムマチャスが死んだ。

「女王様?」

 バレンジアは跳び上がって驚いた。侍女が近づいてきた。「どうしたの?」

「ブレトンがいらっしゃいました」バレンジアが戸惑いを浮かべると、侍女は付け加えた。「イードワイヤー王がいらっしゃいますが… 」ためらってから続けた。「何かしらせでも?」夜鷹にうなずいてみせた。

「たいしたことじゃないわ」と、バレンジアは口早に言った。空洞でこだまするような声だった。突然、心に深い海溝が刻まれたかのようだった。「鳥のことをおねがい」バレンジアは立ち上がると、ガウンのしわを手で撫でつけ、高貴な来訪者を出迎える支度を整えた。

 バレンジアは何も感じられなかった。心が石の壁のようにひんやりと、夜のしじまのようにひっそりとしていた。死人のように感覚がなかった。

 シムマチャスが死んだなんて!
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 イードワイヤー王は、いささか度が過ぎる感はあったものの、真摯かつ礼儀正しくバレンジアに挨拶した。自身のことを、シムマチャスの熱烈な信奉者だと紹介した。その血統において、ひときわ異彩を放っていらっしゃるお方だとまで表現した。話題はしだいにバレンジアと皇帝との交渉へと流れていった。イードワイヤー王はその詳細について知りたがり、その首尾がモーンホールドにとって好ましいものであるかどうか訊いてきた。バレンジアがのらりくらりと質問をかわしていると、突拍子もないことを口にした。「バレンジア女王様、どうか信じてください。あの男はみずから皇帝と称していますが、偽者なのです! とんでもない話だと思うでしょうが…」

「いいえ」と、バレンジアは決然と言った。「あなたの言うとおりですわ、イードワイヤー王。わかっていますとも」

 イードワイヤー王は座ったまま、ようやく胸をなでおろした。ふと、目つきが鋭敏になった。「わかっておられると? 狂人の与太話に付き合っておられるだけではないのですか?」

「どうかご安心を、イードワイヤー王。私は本気です」バレンジアは深呼吸をした。「して、皇帝と偽っているのは誰であるとお考えですか?」

「帝国の魔闘士、ジャガル・サルン」

「なんということ。イードワイヤー王、ナイチンゲールという名に聞き覚えはございますか?」

「もちろんですとも、女王様。しかと存じております。われらはナイチンゲールと背教者サルンは同一人物であるとにらんでおります」

「やっぱりだわ!」バレンジアはすっと立ち上がって動揺をごまかそうとした。ナイチンゲールはジャガル・サルンだったのよ! ああ、でもサルンは魔性の男。悪魔のように邪悪で狡猾だわ。私たちの破滅をたくらんでいたのね。抜かりなく、完ぺきに! シムマチャス、私のシムマチャス…

 イードワイヤーがひかえめな咳払いをした。「女王様、私の… 我らの力になっていただきたい」

 バレンジアはこの皮肉に苦笑した。「それは私が言うべきことでしょうけど、続けなさい。どうやって力になればよいのです?」

 イードワイヤー王は計画の概要を手短に述べた。「卑劣なジャガル・サルンの弟子である魔術師のリア・シルメインが殺され、偽の皇帝に背教者と宣告されました。ところが、シルメインにはわずかに力が残されていて、死してなおこの世の親しい知人と交流することができたのです。彼女はあるチャンピオンに呼びかけ、よこしまな妖術師が名もなき土地に隠してしまった混沌の杖の捜索にあたらせました。そのチャンピオンなら、杖の力を身にまとい、弱点がないに等しいジャガル・サルンを滅することも、さらには異次元に幽閉されている本物の皇帝を救出することもできるのです。ですが、チャンピオンはかろうじて一命はとりとめたものの、帝国の地下迷路で息絶えようとしています。サルンの注意をそらせながら、リアの魂の力を借りて、選ばれしチャンピオンを逃がさなければなりません。バレンジア女王は偽の皇帝の耳、それから、聞いたところでは彼の瞳も惹きつけているようだ。計画どおりにサルンの気を散らせることができますか?」

「もう一度、サルンとの謁見の約束を取りつけましょう」と、バレンジアは慎重に言った。「けど、それだけで充分でしょうか? 実を言いますと、私たち一家は帝国に対する背教者だと宣告されたばかりなのです」

「モーンホールドではおそらくそうでしょう。モロウウィンドでも。しかし帝国や帝国領では事情が異なります。内政が泥沼化したとき、皇帝や大臣との謁見がほとんど不可能になることもありますが、法によらずに投獄されたり、しかるべき法手続きを踏まずに罰せられたりすることはないと保証されることもある。いずれにしても、あなたが王位にあることが状況をきわめて難しくさせています。女王および推定相続人であるあなたたちは、不可侵の存在、神聖な存在であると考えられるのです」イードワイヤーはにっこりと笑った。「帝国の官僚政治とは諸刃のクレイモアなのですよ、バレンジア女王」

 となると、バレンジアも子供たちもひとまずは安全だということだ。そのとき、ある考えが彼女の頭をよぎった。「イードワイヤー王、先ほど私が偽の皇帝の瞳を惹きつけているとおっしゃいましたが、どういう意味ですの? しかも、聞いたところでは、とは?」

 イードワイヤーはばつが悪そうな顔つきになった。「ジャガル・サルンは自室に祭壇のようなものを設けて、そこにあなたの肖像画を飾っていると従者たちが噂しておりました」

「なるほど」バレンジアは一瞬だけ、ナイチンゲールとの狂おしいほどの恋愛に思いを馳せた。あのときは夢中で恋をしていた。浅はかな女だった。そのかつて愛した男が、真実の愛を与えてくれた男を殺させたのだ。彼女が愛していた男を。彼はもう死んでしまった。シムマチャスは… シムマチャスは… バレンジアは彼が死んだという事実をいまだに認められずにいた。それでも、自分に強く言い聞かせた。彼が死んだとしても、私の愛は死なない。愛はとどまるのだと。彼はいつもそばにいてくれるのだと。そう、痛みとともに。これから彼のいない人生を送るという痛み、彼の存在や安らぎや愛を感じることなく昼も夜も生き抜いていくという痛み、子供たちが立派な大人に成長するのを彼が見届けることはないのだという痛み、父親がどれほど勇ましく、たくましく、称えられ、愛されていたか、子供たちが、とりわけ幼いモルジアが知ることはないのだという痛み。

 だからこそ、そうしたすべての痛みの代償として、家族を苦しめた報いとして、ナイチンゲールを殺してみせる。

「驚かれましたか?」

 その言葉で彼女の思索は打ち破られた。「え、驚いたって、何に?」

「肖像画ですよ。サルンの部屋の」

「ああ」バレンジアの表情に平静さが戻った。「そうね。複雑な気分ですけど」

 彼女が話題を変えたがっていると、イードワイヤーは表情から察した。再び計画のことを話した。「選ばれし者が逃げるには数日かかるかもしれません。それ以上の時間をかせげますか、バレンジア女王?」

「信じてください、イードワイヤー王。どうしてそんなことを?」

「われらは追いつめられています。こうするより他に道はない。が、もし道があったとしても… ええ、もちろん、あなたを信じるでしょう。心からそう思います。シムマチャス卿はわが一族にいつも目をかけてくださいました。シムマチャス卿は--」

「亡くなりました」

「何ですと?」

 バレンジアは手短かつ冷静に一連の事件について語った。

「バレンジア女王… なんということだ! お悔やみ申しあげます…」

 とうとうバレンジアの氷の平静さが揺らいだ。同情されたことで、冷静さの仮面がぼろぼろと崩れていくのを感じた。気を取り直し、沈着であることを自らに強いた。

「状況を鑑みるに、われらはとても頼みごとなど--」

「いいえ、イードワイヤー王。状況を鑑みればこそ、どんなことでもやるしかない。子供たちの父親を殺した男への復讐を果たさねばなりません」ひと粒の涙が鋼鉄の涙腺からこぼれ落ちた。じれったそうに涙を拭い去った。「そのかわり、父を失ったわが子の警護をしっかりと頼みますね」

 イードワイヤーはえりを正して立った。彼の瞳が輝いた。「もちろん、誓いましょう。勇ましく気高いバレンジア女王。愛すべき故国の神々、タムリエルの大地が我が誓いの証人となります」

 イードワイヤーの言葉はあきれるほど彼女の心を動かした。「心から感謝しますわ、わが友イードワイヤー王。あなたには私と私の子たちのえ、え、永遠の、か、か、感謝を…」

 バレンジアは泣き崩れた。

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 その晩、バレンジアは寝つけないまま、ベッドのかたわらの椅子に座って膝で手を組み、満ちては引く闇のまにまに長い思索にふけっていた。子供たちに打ち明けようとは思わなかった。今はまだ。そのときが来るまでは、まだ。

 皇帝との謁見の予約を取りつける必要もなかった。夜明けとともに召喚状が届いたのだ。

 子供たちには、自分だけ何日か遠出することになるかもしれないと伝えておいた。従者サルンたちを困らせないようにねと言い諭し、お別れのキスをした。モルジアはめそめそと泣いた。帝都の暮らしに退屈し、孤独を感じていたのだ。ヘルセスはむっとしていたが何も言わなかった。父親にそっくりだった。シムマチャスに…

 帝都の王宮につくと、バレンジアは立派な謁見の間ではなく小ぶりの客間に通された。そこでは皇帝が独りで朝食をとっていた。皇帝はうなずいて歓迎の意を表すると、窓に向かって手を振ってみせた。「壮大な景色だとは思わないか」

 バレンジアは大都市にそびえる塔のような巨大建築物をじっとながめた。ふと気づいた。遠い昔、彼女はこの部屋で初めてタイバー・セプティムと会ったのだ。数世紀前のことだった。タイバー・セプティム。彼女が愛したもうひとりの男。他には誰を愛したのだろう。シムマチャス、タイバー・セプティム、それからストローも。ふってわいたような情愛の念とともに、大柄で金髪の馬屋番の少年のことが思い起こされた。今、初めて気づいた。ストローも愛していたのだと。彼に気持ちを伝えたことはなかったが。あの頃はまだ若かった。気ままな時代だった。のどかな時代だった。あのときまではすべてそういう感じだった。彼が現れるときまでは。シムマチャスではない。ナイチンゲールだ。バレンジアは心ならずも驚いた。あの男はいまだに彼女の心を揺さぶってくる。今この時でさえも。あんなことが起きたあとでさえも。まとまりのない感情の荒波に心がさらわれそうになった。

 バレンジアがようやく振り向いたとき、そこにユリエル・セプティムの姿はなかった。ナイチンゲールが座っていた。

「ばれたか」ナイチンゲールは彼女の顔を丹念に見つめながら、静かに言った。「ばれたか、こんな早くに。びっくりさせてやろうと思ったのにな。せめて驚いた振りぐらいするもんだよ」

 バレンジアは両腕を広げてみせた。そうすることで、心の深淵をかきまわす動揺の念を静めようとした。「何かの振りをすることにかけてはあなたにはかなわないわ、閣下」

 ナイチンゲールはため息をもらした。「怒ってるのか」

「少しだけ。それは認めるわ」と、彼女は冷ややかに言った。「あなたは違うのかもしれないけど、裏切られたらやっぱり腹が立つもの」

「まるで人間だな」

 バレンジアは息を深く吸った。「私をどうしたいの?」

「ここで演技をするわけか」彼は立ち上がって真っ直ぐに彼女を見つめた。「どうしたいかなんてわかりきってるだろう」

「私を苦しめたいのね。どうぞおやりなさい、逃げも隠れもしないから。ただ、子供たちはそっとしておいてあげて」

「おいおい。そんなことはちっとも願っちゃいないよ、バレンジア」ナイチンゲールは彼女ににじり寄った。あのときと同じ、愛撫するような低い声でささやきながら。ぞくぞくするような感覚が彼女の全身を滝のように流れ落ちた。今、この場でも、その声のもたらす効果に変わりはなかった。「わかるだろう? こうするしかないのさ」彼の手が彼女の腕に触れた。

 バレンジアは決意が萎えていくのを感じた。侮蔑の念が薄らいでいく。「あの時連れていってくれたらよかったのに」涙がひとりでに溢れてきた。

 ナイチンゲールはかぶりを振った。「力がなかったんだ。けど、今なら! 私はすべてを手に入れた。どんなものでも所有し、共有し、分け与えられる。おまえのために」またもや窓のほうへ、その向こうの街のほうへ手を振ってみせた。「タムリエルのすべてをおまえの足元に差し出してやれる。しかも、これはほんの始まりでしかない」

「遅すぎるわ。遅すぎる。私をシムマチャスに押しつけたくせに」

「あいつは死んだ。あのさもしい男は死んだんだ。たったの数年じゃないか。どんな問題があるというんだ?」

「子供たちを--」

「養子に迎え入れよう。それから私たちの子供を作ろう、バレンジア。ああ、どんな子供になるんだろう! どんなことを受け継いでくれるのだろう! おまえの美しさ、それと私の魔力。私にはおまえの想像を超える力がある。いかに想像力を解き放っても思い描けないほどの力が!」ナイチンゲールは彼女に近づいて接吻した。

 バレンジアは彼の手からするりと逃げて、背を向けた。「信じられないわ」

「信じられるとも。おまえはただ、怒ってるだけなんだ」ナイチンゲールは微笑んだ。だが、眼は笑ってはいなかった。「欲しいものがあれば言ってみろ、バレンジア。私の愛しいバレンジア。教えてくれ、なんでも差し出そう」

 バレンジアの目の前で彼女の一生が走馬灯のように映し出された。過去、現在、それときたるべき未来も。異なる時代、異なる生活、異なるバレンジア。どれが本物の自分なのだろう? どれが本物のバレンジアなのだろう? その選択次第で、彼女の運命はいかようにも変わる。

 バレンジアは決心した。わかっていた。誰が本物のバレンジアなのか。彼女が何を求めるのか。

「庭の散歩かな」と、彼女は言った。「それと、歌を一、二曲」

 ナイチンゲールは高らかに笑った。「なんだ、かまってもらいたいのか」

「いけないかしら? お手のものでしょう、あなたなら。それに、そういう幸せを久しく味わってないもの」

 ナイチンゲールは微笑んだ。「仰せのままに、麗しのバレンジア女王。お望みがあればなんなりとお申し付けください」そう言って彼女の手に接吻をした。「今も、これからも」

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 こうして二人は恋人のように数日間を過ごした。散歩したり、おしゃべりしたり、歌ったり、笑ったりしながら。皇帝の執務は部下に任せていた。

「杖を見たいわ」あるとき、バレンジアはなんとなくそう言った。「ちらっとしか見てないもの。覚えてるでしょう」

 ナイチンゲールは顔をしかめた。「毎日を共に過ごし、楽しくてしかたがないよ。だが、それだけはできない」

「信用していないのね」バレンジアは口をとがらせた。だが、彼に口づけを求められ、唇をゆるめた。

「そんなことあるもんか。もちろん信じてるさ。杖はここにはないんだ」ナイチンゲールは含み笑いをした。「というか、杖なんてどこにもないんだ」そして、彼女とまた唇を重ねた。いっそう情熱的なキスだった。

「お得意の謎かけなんでしょう。私は杖を見たいの。あなたが杖を壊すわけがないわ」

「ふうん、きみもずいぶん知恵をつけたみたいだね」

「ある意味、あなたが私の知識欲に火をつけたのよ」バレンジアは立ち上がった。「混沌の杖は壊すことができないし、タムリエルの外に持ち出すこともできない。そんなことをしたら、この土地に悲惨な結末がもたらされるから」

「いや、お見それいたしました。おっしゃるとおりだ。杖は壊されても、タムリエルから持ち出されてもいない。それでも、私が言ったように、杖はどこにもないんだな。この謎かけが解けるかい?」ナイチンゲールは彼女をぐいと引き寄せた。バレンジアは彼の胸にしなだれた。「もっと難しい謎かけはどうかな」彼はささやいた。「ふたつからひとつを作るにはどうしたらいいかっていう謎かけさ。私にはできる。きみに見せてあげよう」二人の体が重なり合い、お互いに手足をからめ合った。

 ことが終わると、二人は少しだけ離れた。ナイチンゲールはうたた寝をしていた。バレンジアは半分寝ぼけながら考えた。「ふたつからひとつ、ひとつからふたつ、ふたつからみっつ、みっつからふたつ… 壊れないものでも、消えてなくならないものでも、ばらばらにすることはできるかもしれないわ。ひょっとしたら…」

 バレンジアは立ち上がった。眼が輝いていた。にっこりと笑った。

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 ナイチンゲールは日記をつけていた。部下が手短に報告を終えると、毎晩欠かさずにその日の出来事を書き込むのだ。日記は机の引き出しに鍵をかけてしまってあった。が、鍵といっても単純な造りのものだった。なんと言っても、バレンジアはかつて盗賊ギルドのメンバーだったのだ。かつての暮らしの、かつてのバレンジア。

 ある朝、バレンジアは、ナイチンゲールがトイレに入っているすきに、こっそりと日記をのぞき見ることができた。ある書き込みによると、混沌の杖のひとつ目のパーツは、ファング・レアという古代のドワーフの炭鉱に隠してあるらしかった。もっとも、所在地については遠まわしに表現されていてよくわからなかったのだが。どのページの記述も、奇妙な速記でなぐり書きされていてほとんど解読不能だった。

 バレンジアは思索した。タムリエルのすべてが彼の手の中に、炭鉱の中にある。ひょっとしたらそれ以上のものが。それでも…

 ナイチンゲールの容姿は文句なしに魅力的だったとはいえ、心が抜け落ちてしまったかのような空虚さもはらんでいた。本人はまるで自覚していないようだったが、そうした空虚さは往々にして、彼の眼が虚ろになるときや、険しさを浮かべるときに感じ取ることができた。そうでありながら、彼は幸福感や満足感にも飢えていたのだ。ちっぽけな夢、か。バレンジアは心の中でつぶやいた。すると、ストローが目の前にぱっと現れた。途方に暮れていて、悲しそうだった。今度は、カジートらしい猫笑いを浮かべたセリスが現れた。権力はあるが孤独なタイバー・セプティムが現れ、しかつめらしい顔をしたシムマチャスが現れた。なすべきことを冷静に、手際よくこなしてみせるシムマチャス。ナイチンゲールも現れた。謎かけが得意な自信家で、光と影のどちらもまとうナイチンゲール。すべてを、それ以上のものを支配するナイチンゲール。秩序の名のもとに混沌を広めるナイチンゲール。

 バレンジアは後ろ髪を引かれながらも彼のもとを離れて、子供たちの待つ場所へ向かった。彼らはまだ父親の死のことも、皇帝が養子縁組を申し出てきたことも聞かされていなかった。が、バレンジアはとうとうすべてを話した。つらい瞬間だった。モルジアは彼女にしがみついていつまでもすすり泣いた。見ているほうもいたたまれない気持ちにさせられるほどだった。ヘルセスは独りで庭に駆け出していった。戻ってきてからも、父親の話題にはいっさい触れようとせず、母親の胸に抱かれることも拒んだ。

 そんな折、イードワイヤーがバレンジアを訪ねてきた。彼女はこれまでにわかったことを彼に報告し、もうしばらくはナイチンゲールのところでできるだけ情報を集めてみるつもりだと告げた。

 ナイチンゲールは、バレンジアにぞっこんの老人のことで彼女をからかった。イードワイヤーの疑念には感づいていたが、まったく動じてはいなかった。あんな愚かな老人など取るに足らない相手だからと気にも留めなかった。バレンジアは二人の仲をそれなりにとりなすことさえやってのけた。イードワイヤーは、これまでの疑念は思い違いだった、“旧友”の皇帝に赦免していただいたと公言した。後に、イードワイヤーは少なくとも毎週一度は彼らの家で夕食を共にするようになった。

 子供たちは、ヘルセスでさえも、イードワイヤーのことが気に入ったようだった。ヘルセスは母親の皇帝との密通に反対し、その結果、皇帝を憎むようになった。毎日が過ぎていくにつれ、いっそうぶっきらぼうに、神経質になっていき、母親と皇帝のどちらとも言い争うことが多くなった。イードワイヤーも皇帝との情事のことを良く思っていなかった。時折、ナイチンゲールはバレンジアへの愛情を堂々とひけらかしてこの老人をいらつかせては、悦に入っていた。

 もちろん、ユリエル・セプティムにはすでに妻がいたから、二人が結婚することはできなかった。少なくともしばらくは。ナイチンゲールは皇帝に成り代わってからすぐに女帝を追放したものの、危害を加えようとはしなかった。女帝は最高神の神殿近くに幕屋をあてがわれていた。女帝の体調がおもわしくないという公式発表がなされ、ナイチンゲールの諜報員によって彼女が精神を病んでいるという噂が流布された。皇帝の子供たちもまた同じように、タムリエル各地の各種収容施設へ、公には「勉学のため」と称して追いやられていた。

「女帝の病状はじきに悪化するだろう」ナイチンゲールは思わずそうもらした。バレンジアのよく張った乳房とふくらんだ腹部を満足そうに見やりながら。「皇族の子供たちについては、まあ、人生に危険はつきものだろう? 結婚しよう、バレンジア。その子がわれらの真の世継ぎとなるのだ」

 ナイチンゲールは子供を望んでいる。バレンジアには確信があった。だが、彼が自分のことをどう思っているのかについてはあまり確信がなかった。最近では口論が絶えなかった。ことのほか激しくなることもあった。たいていはヘルセスのことが原因だった。ナイチンゲールは、帝都からもっとも離れた帝国領であるサマーセット島の学校に、ヘルセスを放り込みたがっていた。バレンジアは売られたけんかは進んで買った。結局のところ、ナイチンゲールは平穏で波風の立たない人生などには微塵も興味がないのだろう。後始末さえ心から楽しんでいるのだから。

 バレンジアは子供たちを連れて、かつての住まいに逃げ込むことがあった。ナイチンゲールにはもううんざりだと言い放って。が、ナイチンゲールはいつも彼女を連れ戻しにやってきた。そういう時、彼女はいつもおとなしく連れ戻されるのだった。タムリエルの双子の月が昇っては沈むことが言葉では説明がつかないように、それもまた不可解なことだった。

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 混沌の杖の最後のパーツのありかがようやく解読できた時、バレンジアはもう妊娠6ヶ月になっていた。容易なことだった。ダークエルフなら誰でもダゴス・ウア山がどこにあるのか知っているのだから。

 ナイチンゲールと口論になると、バレンジアはイードワイヤーを連れて帝都をあとにし、ハイ・ロックからウェイレストへと馬を走らせた。ナイチンゲールは激怒したが、どうすることもできなかった。お抱えの暗殺者を仕向けるわけにもいかず、皇位を空けてまでみずから彼女らを追うのも無謀だった。ウェイレストに宣戦布告するわけにもいかない。法的には彼女や彼女の腹の中の子供とは何のつながりもないのだから。例によって、帝都の貴族たちは皇帝とバレンジアの密通を快く思ってはいなかった。ちょうど、タイバー・セプティムとの情事を当時の貴族が反対したように。それ故に、彼らはバレンジアがいなくなってくれて安堵していた。

 ウェイレストもまた同じようにバレンジアを疑っていたが、イードワイヤーはこの小さいが豊かな都市国家の民から熱狂的に愛されていた。そのため、彼の奇行には目をつぶる土壌ができあがっていたのだ。一年後、ナイチンゲールを父に持つ男の子が生まれると、バレンジアとイードワイヤーは結婚した。こうした不幸な事情がありながら、イードワイヤーは彼女と彼女の子供を溺愛した。バレンジアのほうでは彼を愛してはいなかった。が、好きではあった。それだけでよかった。誰かがそばにいるのは喜ばしいことだ。ウェイレストは暮らしやすく、子供たちが育つにはいい場所だった。彼らはのんびりとその時期が来るのを待ち、チャンピオンの任務の成功を祈っていた。

 この無名のチャンピオンが誰であろうと、あまり長い時間をかけないでほしいわ。バレンジアはそう祈るより他はなかった。彼女はダークエルフで、時間ならたっぷりある。無限の時間が。だが、誰かにほどこす愛はもう残ってはいなかった。燃焼させる憎しみも枯れてしまっていた。何も残ってはいなかった。痛みと記憶、それと子供たちを除いたら。バレンジアは家庭を育んでいきたいだけだった。家族に素敵な人生をもたらし、残された余生を過ごしたいだけだった。もちろん、まだまだ長い人生になることは間違いない。そうして生きているうちは、魂や心の平和、平穏、それに平静が欲しかった。ちっぽけな夢が。それこそバレンジアが求めるものだった。本物のバレンジアが求めるものだった。それこそが本物のバレンジアだったのだ。ちっぽけな夢こそが。

 そう、ちっぽけな夢が。


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