editlog - ソース表示 (201201)

Note/?

editlog - ソース表示 (201201)


ページ名 読書案内/Effects of the Elder Scrolls (閲覧)
投稿者ID VxCY_RAu
投稿日 2012-01-06 (Fri) 23:13:15
差分情報 [ 差分 | 現在との差分 | ソース ]
投稿時変更行 追加:26, 削除:0

CENTER:星霜の書の効果について


----


 学者たちの間では、星霜の書を読む際に特定の危険が伴うことは広く知られている。効果の仕組みは現時点ではほとんど知られていない。秘密の知識説や神の報いは、調査がほとんど伴わない愚かな憶測の題目だった。





 私ジャスティニアス・ポルウニウスは、星霜の書を読んでかかった病気を徹底的に記録し始めた。どれほど長い間解明できず、いまだに今後の研究の題材ではあるが。





 その効果を4つにグループ分けし、症状の経路はほとんどの場合で読み手の気持ちに左右されることが分かった。これが明確でなければ、正しい二分法によって明白になることを願う。


----


 ''第1グループ: 騙されやすい人々''


 星霜の書の自然の力や歴史の教育を受けてこなかった人にとっては、巻物そのものが事実上、不活性なのである。予言も印されないし、知識も得られない。巻物が無知の人々に知識を授けない一方、逆に彼らに悪影響を及ぼすこともない。視覚的には巻物は奇妙な文字や印で溢れている。天文学を知る人は星座のパターンや関係が見分けられるとよく主張するが、そのような憶測では未知の研究を推し進めることはできない。


----


 ''第2グループ: 無防備の思考力をもつ人々''


 巻物を読むことで重大な危険にさらされることに気がつくのが第2グループだ。星霜の書の自然の力を理解し、そこに何が書かれているか実際に読む知識を十分に有する人々がテーマである。しかしながら、彼らは無限性を垣間見た精神が経験する動揺を食い止められるだけの自制心を開拓していない。このような不運な魂は即座に、かつ決定的に打ち砕かれ、完全に目が見えなくなってしまう。これは人の能力を越えたことへの代償であろう。しかし特筆に値するのは、目が見えずとも隠れた知識の欠片を手にする--未来や過去もしくは深い性質であっても個人やより広い範囲における彼らの位置によって決まる。しかし知識はやって来るのだ。


----


 ''第3グループ: 中立的な理解者''


 タムリエルで唯一、聖蚕の信者だけが、巻物を読んだ際に精神を守る方法を見つけ出したようである。見習い期間にいる者は厳格な精神養成を受けなくてはならない。そして、10年またはそれ以上を修道院で過ごし、その後初めて星霜の書を読むことを許される。僧兵たちはこれを新入りを守るためだと言う。というのも、もっと熱心な者たちの間にも数多くの無防備な精神を見てきたからである。正しく不屈の精神を備えた読み手たちであっても、目が見えなくなってしまうのだ。もちろん、無防備の人々よりもはるかに軽微ではあるが。彼らの視界はわずかに霞むが、形や色、俗世の文章を読むのに十分な鋭敏さは残っている。巻物から得る知識もまた多少は加減される--見たものを表現し十分に理解するには、調整と反射の段階が必要なのだ。


----


 ''第4グループ: 教化された知力''


 第3のグループとこのグループの間には、現在のところ聖蚕の僧兵に否認されてきたことのみ連続した繋がりがある。読み続けたことで僧兵は徐々にさらに目が悪くなるが、さらに重大で詳しい知識を手に入れる。彼らは起きている時間にこの実状を考えるので、さらなる不屈の精神が培われる。星霜の書から授かる知識だけが僧兵にとって最後の朗読になるとき、僧兵全員に最後から2番目の朗読がある。





 どの僧兵にとっても、最後から2番目の朗読は異なる予測できないタイミングで来る--準備作業はそれぞれの僧兵の重症度を表にして発生を予測するためにおこなわれるが、かなり重症の者はみんな、失明が進行して朗読を多くおこなうにつれて症状が軽くなっていくようだと報告する。実際は目に見えない感覚は失明がかなり進行した状態で衰え続けていると言う者もいる。しかし、このような仮定は哲学者に任せるとしよう。





 究極の朗読に準備するには、実状の生涯を熟考し、自分の最期を受け入れる精神を定めるために僧兵は典型的に人里離れた場所に閉じこもる。この最期の朗読で、知識を競い合った無防備の者たちと同様に確実かつ永遠に目が見えなくなる。しかしながら、教化された人々は生涯にわたり知力を持ち続けた。そして、多くの場合、彼らが知ったものよりもさらに不可欠な観念を保持する。





 星霜の書の命にかかわる理解をさらに深めたい人々にとって、この目録が役立つものだと証明されることを期待する。聖蚕の司祭はこの問題に関しては冷たい態度を取り続けていて、誇りとしての朗読にともなう段階的な衰弱と見ている。このような研究に着手したいと願う人々にとって、有益な出発点としてこの問題が扱われることを祈る。


 '''第二紀126年、ラスト・シード4日、アンスティウス・メッチムによる執筆'''



トップ   新規 一覧 検索 最終更新   ヘルプ   最終更新のRSS